■活動内容 紹介
小泉 和子
西軽井沢ケーブルテレビ㈱
世界一小さなたった二人のテレビ局で企画・取材・撮影・
キャスター
なんでもこなす御代田のRegistrar
キャスター
Kazuko Koizumi
プロローグ
出身は八朔相撲で知られる小諸市荒町。
幼少時代から、しっかりしゃべることができる活発でスポーツ好きな女の子でした。
高校生まではずっと生家のある荒町付近の学び舎に徒歩で通っていました。
きわめて、経済的な環境に育ったためか、その後の進学先は「長野経済短期大学」でした。
いつもどおり電車通学していたある日、同じ車両に乗り合わせていた髭のおじさんに「夏休みにうちのテレビ局にアルバイトに来ないか?」と声を掛けられました。この髭のおじさんこそ、西軽井沢ケーブルテレビを操業して間もないころの石川伸一社長、愛称「シンちゃん」です。この時「シンちゃん」は、仕事で電波管理局へ通っており、その道すがら小泉さんを見初めたようです。まさに運命的な出会いの瞬間でした。
「なんだろ?このおじさん。」最初は訝しげだった小泉さんですが、ケーブルテレビのアルバイトの内容を聞くうちに「面白そう。」、不信感は興味に変わっていきました。
西軽井沢ケーブルテレビとの邂逅
≪小泉さん18歳の春≫ 進学した短大は、信越線(当時 現在はしなの鉄道)沿線にあり、生まれて初めての電車通学をすることになりました。電車通学がきっかけでその後の人生を決めることになんて、この時、知る由もありませんでした。
≪平成元年4月 小泉さん20歳の決断≫ 昭和の終わりころ、西軽井沢ケーブルテレビは駅前の喫茶店「のんのん」の隣にありました。
小泉さんは、土日・夏冬春の長期の休みを使ってテレビ局へ通いアルバイトを始めました。そして、通うごとにその面白さに引き込まれ、短大を卒業するころにはテレビ局への就職を決めていました。
町の記録係として30有余年
≪こよなく愛する(they love me so much)御代田への思いー≫
就職から30有余年。「シンちゃん」とともに町の記録係をつとめてきた小泉さんの頭の中を走馬灯のように取材の記憶が廻ります。
≪行事がたくさん残っている≫ 小泉さんが御代田へ来て最も強く感じているのは「小諸に比べて行事がたくさん残っている。」ことだそうです。取材を通じて伝統を継続する御代田のすごさを感じたことを率直に話してくれました。
≪「おじいさん」「おばあさん」シリーズ≫ 取材に出向くたびに「大事にしてくれる。」「受け入れてくれる。」御代田のお年寄りの暖かさを実感できる大好きな企画であることも打ち明けてくれました。
≪ニセモノ騒動≫ 一番ショックを受けた取材、これは西軽井沢ケーブルテレビにとどまらず、御代田町を全国的に知らしめた「ニセモノ騒動」です。
2002年7月26日『信州みよた龍神まつり前夜祭』におこなわれた駅前商店街会主催のカラオケ大会で「元・ヴィレッジ・シンガーズの清水道夫」と名乗る男が特別審査員枠で出演しました。イベント中には『亜麻色の髪の乙女』の唄まで披露、大きな話題となりました。しかしこの男、真っ赤な「ニセモノ」であったことが、翌日の『龍神まつり』当日の夕方発覚、シンちゃんはじめ駅前商店街会スタッフ一同頭を抱え込んでしまいました。小泉さんも「今では笑い話ですが、しばらくは「亜麻色の髪の乙女を聴く」と嫌な気持ちになった。」とトラウマが続いたことを回顧しています。
これからの夢・希望
≪小泉さんの夢≫
「映像のアーカイブ化」 子どもたちの未来が楽しみなので、大人になった時、彼らが彼女らが当時の映像を簡単に取り出して鑑賞できる仕組みを作りたいと語ります。30有余年で蓄積された映像記録は御代田の宝物です。町の記録係「シンちゃん」と小泉さんがが遺してきたレガシーのアーカイブ化、是非、実現できると良いですね。
≪町に期待するもの≫
「都市になって欲しくない」 発展は望むものの、それは今ある素晴らしい環境を守ってのこと。「自然との調和のとれた住み易い環境を後世に残して欲しい」と滔々と語ってくれました。
≪最後に!日本に望むこと≫
「外交に強い国になって欲しい」 今の日本は「インバウンドがダメ。」「強いものがない。」と指摘、国がしっかりしてメンタルの強い子を育てて欲しいと結びました。
平成のはじめから御代田を見守り愛し続けてきた小泉和子さん。彼女の口からほとばしるのは御代田への愛情でした。
「シンちゃん」の大功績の一つは、信越線の客車で小泉さんに声を掛けたことだったと私は思います。
御代田町社会福祉協議会
〒389-0206 長野県北佐久郡御代田町御代田1772-1 ハートピアみよた
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